| 名称 |
高田城 |
| 所在地 |
真庭市勝山 |
| アクセス方法 |
勝山公園グラウンド北の山に城の主要部はある。 |
| 周辺の目標物 |
グラウンド(二の郭跡とされる)に周辺案内図があり、この付近に駐車できる。 |
| 登城口 |
グラウンドから北東に進むと山に入る道がある。遊歩道はしっかりしており、10分程度で本丸に至る。 |
| 現状 |
山林であるが遊歩道があり史跡として整備されている。曲輪、石垣、堀切が残る。山の西側の遊歩道は整備状態が劣り畝状竪堀などは見学が難しい。小屋の段までは下りていけるが、その先の道も少し薮化している。 |
| 現況写真 |
本丸内を南より望む。 |
| 図面等 |
縄張図がある。 |
| 歴史 |
戦国時代は三浦氏の城で後に毛利氏が拠点とする。以降、美作の国主の交代に伴い、宇喜多、小早川、森家の下で城番が置かれていたようである。森家が断絶するとこの地は一旦幕領となり、明和元年(1764)に三浦明次が2万3千石で領主となる。同氏は城主格であるが封入後は専ら麓の屋敷地を用いたようで、山頂の古城をどのように活用したかは不明である。同藩は幕末まで続いた。(美作国の山城(津山市教育委員会、2010年)) |
| 踏査日 |
2025/11/2 |