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名称 坂本さかもと
所在地 大津市下阪本(坂本城址公園付近)
アクセス方法 坂本城址公園の北西側一帯が城跡である。
周辺の目標物 図自動車で来訪の場合は、坂本城址公園をまず目指す。公園にある城跡の図
登城口 あぜ道坂本城本丸の石垣の残欠を見学する場合は、公園脇から国道161号線を北上し、100m強進んだところで矢印に従いあぜ道を東に折れる。以降、何箇所か案内があるのでスムーズに湖畔に出ることができる。
現状 住宅地となっており遺構は壊滅している。湖畔に本丸石垣の基底部の残欠があり、渇水期には水面から顔を出す。
現況写真 石垣渇水期に露呈した本丸石垣の残欠を北より望む。
図面等 門城址公園の図の他、城跡から約5q離れた明智家の菩提を弔う西教寺内に城の模型が展示されている。写真の西教寺の門は坂本城からの移築と伝えられている。
歴史 元亀2年(1571)に織田信長は比叡山を焼き討ちし、明智光秀に比叡山領を与えた。光秀は比叡山の麓のこの地に城を築いたが、天守と小天守を備えたものだったと記録にある。天正10年(1582)の山崎の戦いでの明智光秀の敗死後、羽柴方の攻撃を受けて家老の明智秀満は城に放火し自害している。この地の領主となった丹羽長秀は翌天正11年から城の再建に取りかかったが、間もなく領主も替わり、豊臣秀吉は天正14年に大津への築城に方針を転換し坂本城は廃された。(中井均編「近江の山城ベスト50を歩く」(サンライズ、2006年)
踏査日 2024/1/7

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作成2024/1/12、更新---
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