ホーム 城塞史跡協会について 調査報告 活動報告
名称 瀬戸山せとやま
所在地 飯南町下赤名(衣掛山)
アクセス方法 赤穴小学校の北側に登山口があり車一台分の駐車スペースがある。ここから30分程度で主郭に至る。
周辺の目標物 登山口。道はしっかりしているが登山靴が望ましい。ストックが借りられる。登山口。道はしっかりしているが登山靴が望ましい。ストックが借りられる。
登城口 登山道の途中に立つ説明板。登山口から主郭まで所要30分程度、比高は約190mである。登山道の途中に立つ説明板。登山口から主郭まで所要30分程度、比高は約190mである。
現状 山頂部の遺構は史跡として整備され樹木も余り生えていない。石垣、土塁、竪堀等が残る。町指定史跡である。なお、毛利氏の陣城である武名ケ平城は瀬戸山城から東に更に徒歩40分程度とされている。
現況写真 主郭を南側より望む。石垣は廃城に際して破却されたようである。主郭を南側より望む。石垣は廃城に際して破却されたようである。
図面等 いくつかの郭には綺麗な縄張図が設置されていた。なお、主郭に城のパンフレットが置かれていた。いくつかの郭には綺麗な縄張図が設置されていた。なお、主郭に城のパンフレットが置かれていた。
歴史 室町時代初期に佐波氏がこの地に城を築く。佐波氏は後に赤穴氏と改称して尼子氏の旗下に入り、天文11年(1542)に大内氏、永禄5年(1562)に毛利氏の侵攻を受ける。最終的に赤穴氏は毛利氏に従属するも、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、毛利氏は出雲を失い、堀尾氏が入部する。堀尾氏の重臣松田氏が瀬戸山城主となり、石垣の築造等、近世城郭として大改修するが、元和元年(1615)の江戸幕府による一国一城令を契機として城は廃された。(出雲の山城(ハーベスト出版、2013年)
踏査日 2023-11-04

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2023-11-15、更新---
email:castles