名称 |
不言(物不言、福光)城 |
所在地 |
大田市温泉津町福光 |
アクセス方法 |
国道9号線沿いに標示があり、これに従い南に折れて古市橋を渡るとすぐに登山口となる。 |
周辺の目標物 |
国道沿い南側にある城跡への標示 |
登城口 |
古市橋を渡るとすぐに登城口となる。城山の北側楞厳寺からも登り口があるが、こちらは地図で見る限り急斜面でまた駐車スペースもなさそうであった。 |
現状 |
史跡として整備されている。曲輪、土塁、堀切等が残る。 |
現況写真 |
二の丸(西)から本丸方向を望む。 |
図面等 |
二の丸にあった縄張・周辺図 |
歴史 |
鎌倉時代以来周布氏(あるいはその庶流の福光氏)の拠点であったが、永禄2年(1559)に石見吉川氏が毛利氏よりこの地を与えられ、同氏はこの城を拠点に領地支配を行った。戦国期の城主吉川経家は毛利氏が占拠した因幡鳥取城の城将となるも、天正9年(1581)の羽柴秀吉の鳥取城干殺しに際して、将兵の助命を条件に切腹・開城したことで名高い。城は慶長5年(1600)の関ヶ原合戦で毛利氏が石見の領有を失うに伴い廃されたようである。(石見の山城(ハーベスト出版、2017年)) |
踏査日 |
2022-09-23 |