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名称 田中(和仁)たなか(わに)
所在地 和水町和仁字古城
アクセス方法 城の南側、県道195号線北側に「歴史と文化ふれあいひろば駐車場」があり、ここからすぐに城跡である。
周辺の目標物 県道、194号、195号、4号の交わる交差点から東にすすむとすぐに駐車場である。県道4号沿いの旧春冨小学校には「田中城ミニミュージアム」もある。城内にある城の概念図。県道、194号、195号、4号の交わる交差点から東にすすむとすぐに駐車場である。県道4号沿いの旧春冨小学校には「田中城ミニミュージアム」もある。城内にある城の概念図。
登城口 公園化した小山が城跡なので、判別は容易である。北から本丸方向を望む。公園化した小山が城跡なので、判別は容易である。北から本丸方向を望む。
現状 国指定史跡となり公園化している。曲輪、土塁、堀切が残る。
現況写真 本丸と西捨曲輪の間にある堀切本丸と西捨曲輪の間にある堀切
図面等 説明板が立っている。この城については鮮明な縄張り図が入手し辛い。説明板が立っている。この城については鮮明な縄張り図が入手し辛い。
歴史 戦国期は和仁氏の城であった。天正15年(1587)の豊臣秀吉の九州征伐で肥後は佐々成政が支配するが、成政が検地を強行したことから肥後一国で一揆が起こり、和仁氏もこの城に立て籠もって一揆に加わった。豊臣政権軍の攻撃を受けて40日程度で城は陥落し、そのまま廃城となったようである。
踏査日 2022-01-09

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2022-01-20、更新---
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