名称 |
大津山城 |
所在地 |
南関町大字関東字城平(大津山) |
アクセス方法 |
大津山神社の北東裏山の大津山山頂部分を中心に城跡が残る。 |
周辺の目標物 |
大津山神社への参道。ここを左手(北側)に進む。 |
登城口 |
神社前から登ると登山口がある。ここから20分程度で本丸跡に至る。山道は整備されているが、階段状の部分が多く、土がえぐれていて歩きにくいところもある。比高は約200mである。 |
現状 |
城跡というより遊歩道として整備されている。主に3つの曲輪と堀切が残る。 |
現況写真 |
本丸部分を南より望む。 |
図面等 |
説明板が本丸にある。 |
歴史 |
城名は「あまつらがたけ」あるいは「つづらがたけ」とも言われるが、文字変換できないのでネット上では「大津山」で表記されることが多い。城は、京都から下向してきた日野氏が応永3年(1396)に築いたとされる。日野氏は大津山氏と苗字を改め、天正15年(1587)の豊臣秀吉の九州征伐まで存続するが、佐々成政に反抗する一揆に与して大津山氏は没落する。この後、肥後の領主となった加藤清正の下でも大津山城は用いられるが、鷹野原に新城ができたことに伴い廃された。(村田修三編「図説中世城郭事典3」(新人物往来社、1982年)) |
踏査日 |
2022-01-09 |