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名称 小島おしま砲台
所在地 今治市小島
アクセス方法 今治市波止浜から渡船に乗り10分程度で小島に至る。島内には3カ所砲台があり、全て見るのには2時間程度を要する。
周辺の目標物 渡船場近くにある小島の全体図。南部、中部、北部の3砲台と発電所跡、弾薬庫跡が見所である。渡船場近くにある小島の全体図。南部、中部、北部の3砲台と発電所跡、弾薬庫跡が見所である。
登城口 南部砲台の砲台座。渡船場からここまでは5分程度である。砲弾を運ぶ軍道が続いており道は良い。12p加農砲2門があった。南部砲台の砲台座。渡船場からここまでは5分程度である。砲弾を運ぶ軍道が続いており道は良い。12p加農砲2門があった。
現状 明治期の砲台跡が残され、史跡として整備・保存されている。遺跡の状況は大変良い。
現況写真 中部砲台の砲座跡を南より望む。南部砲台から所要15分程度である。28p榴弾砲6門があった。中部砲台の砲座跡を南より望む。南部砲台から所要15分程度である。28p榴弾砲6門があった。
図面等 小島砲台全体の説明板。各砲台にもそれぞれ説明板があった。なお、北部砲台は中部砲台から所要15分程度で、24p加農砲と9p加農砲が各4門あった。北部砲台から渡船場までは海岸沿いに所要15分程度とされる。小島砲台全体の説明板。各砲台にもそれぞれ説明板があった。なお、北部砲台は中部砲台から所要15分程度で、24p加農砲と9p加農砲が各4門あった。北部砲台から渡船場までは海岸沿いに所要15分程度とされる。
歴史 瀬戸内海の忠海海峡と来島海峡を守るための「芸予要塞」の一環として明治32年(1899)に着工し、明治35年に全施設が完成した。その後、大砲の射程が伸びたことから「豊予要塞」で瀬戸内海への侵入を防ぐことが可能となったため、大正13年(1924)に芸予要塞は廃止され、軍用地は民間に払い下げられている。
踏査日 2020-07-05

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2020-07-15、更新---
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