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名称 神吉かんき
所在地 加古川市東神吉町神吉
アクセス方法 常楽寺境内が本丸(中の丸)跡で、その周辺が曲輪とされる。
周辺の目標物 常楽寺を目指す。
登城口 常楽寺の境内を南より望む。常楽寺は周囲より一段高い地形にある。常楽寺の境内を南より望む。常楽寺は周囲より一段高い地形にある。
現状 宅地、寺院などで市街地化しており遺構もほぼ壊滅している。
現況写真 常楽寺の南側のラインを西より望む。常楽寺の南側のラインを西より望む。
図面等 寺内に城の説明があった。寺内に城の説明があった。
歴史 赤松氏一族とされる神吉氏の城である。天正6年(1578)に播磨に侵攻した織田軍3万がこの城を包囲し、対する神吉氏側は千人程度だったとされる。織田軍は大砲で塀・櫓を壊し、堀を埋めて築山を築いて鉄砲を撃ちかけるという物量作戦で城を攻略している。以降、城は廃止されたようである。(朽木史郎・橘川真一編著「ひょうごの城紀行 上」(神戸新聞総合出版センター、1998年)
踏査日 2020-01-11

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2020-01-17、更新---
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