歴史 |
1490年頃、箕輪城主長野氏の一族の長野賢忠が築城したとされる。当時は「厩橋城」と称され、永禄3年(1560年)以降は上杉謙信の関東計略の拠点となる。謙信は城代に北条(きたじょう)高広を入れるが、後に高広は半自立化し、武田氏や後北条氏の間を縫って勢力圏を保持した。天正18年(1590)の徳川家康関東入封に伴い、北条氏の勢力勢力は一掃されて平岩氏、後に酒井氏が城主となり、江戸時代前期には地名も「前橋」となる。しかし、城は利根川の氾濫の度に浸食されて破損が著しく、明和5年(1786)に一旦廃された。しかし、文久3年(1768)に再建工事が始まり、旧三の丸を本丸に直して慶應3年(1867)に完成して藩主松平直克を迎え入れている。 |