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名称 Veronaヴェローナ要塞
所在地 イタリア国Veneto州Verona県
アクセス方法 Adige川を挟んでVerona市街をほぼ一周する城壁・壕が存在する。
周辺の目標物 特急の停車するVerona Porta Nuova駅の北側100mくらいのところに堡塁の南側が聳える。駅周辺の地図特急の停車するVerona Porta Nuova駅の北側100mくらいのところに堡塁の南側が聳える。駅周辺の地図
登城口 城壁・壕は市を一周しているのでどこからでも取り付ける。都市の城壁の概況城壁・壕は市を一周しているのでどこからでも取り付ける。都市の城壁の概況
現状 世界遺産となっており、市壁等は保護されている。道路沿いにあるので一巡は可能だが、St.Pietro城北側山頂部の城壁の確認は今回は断念した。
現況写真 南西側の要塞の壕と壁南西側の要塞の壕と壁
図面等 南西側の堡塁については個別に案内板が立つ。(駅の北にあるRiformati堡塁の説明板)南西側の堡塁については個別に案内板が立つ。(駅の北にあるRiformati堡塁の説明板)
歴史 Veronaには有史前から集落があったとされ、紀元前3世紀には共和政ローマの同盟都市だった。ローマ帝国衰退後も中世都市として栄え、1405年から1797年まではヴェネチア共和国領の都市となる。現存の古い城壁はヴェネチア領時代に築かれたようである。ナポレオンによるヴェネチア共和国の解体後は、ハプスブルク領、ナポレオン支配下のイタリア王国領を経て1815年のウィーン会議で再度ハプスブルク家のオーストリア帝国領となる。帝国領時代は、ペスキエーラ要塞、レニャーゴ要塞、マントヴァ要塞と「四角要塞地帯」を形成し、帝国のイタリア防衛の要となった。要塞西南側の堡塁群は、1830−40年代に築かれたようである。1859年の第二次イタリア統一戦争後もVerona要塞は帝国領であったが、1866年の普墺戦争の結果、旧ヴェネチア領がイタリア王国に編入されるに伴いイタリア王国に割譲された。要塞としての意義はこの時期に失われたものと考えられる。
踏査日 2019-05-02

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2019-06-18、更新---
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