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名称 Mantova(castle)マントヴァ
所在地 イタリア国Lombardia州Mantova県
アクセス方法 Mantova市街がMantova城塞の中心部である。
周辺の目標物 Mantova市街の地図Mantova市街の地図
登城口 城塞としてもっとも雰囲気の残るS.Giorgio城を北より望む。城塞としてもっとも雰囲気の残るS.Giorgio城を北より望む。
現状 城・城塞都市としてはS.Giorgio城と街の東側に若干の城壁跡が残っていた。都市の南側の遺構は殆ど壊滅している模様である。
現況写真
図面等
歴史 Mincio川を堰き止めて造った湖に囲まれた都市である。ローマ時代以前から集積はあった模様で、11世紀に帝国都市となっている。1318年以降、市の有力者であるGonzaga家がこの地を支配し、同家のFederico II Gonzagaが1530年に神聖ローマ皇帝カール5世よりマントヴァ公を授爵されて、マントヴァは同家の世襲領地となる。1627年にGonzaga家直系が断絶すると、フランスにいた傍系家の相続を巡って傍系家を支援するフランスとハプスブルク家で戦争が起こる(マントヴァ継承戦争)。戦争は1628年から始まりオーストリア・ハプスブルク軍の攻撃で1630年に陥落している。戦争後、傍系家の相続が認められたものの、同家も1708年に断絶して以降、ハプスブルク家の領となる。ナポレオン戦争期はフランスの支配下に入るが、1815年のウィーン条約でハプスブルク家(オーストリア帝国)領に戻り、四角要塞の一角を占める都市として都市とその周辺は大幅に補強された。ただ、イタリア統一戦争期においても戦場にはならず、1866年の普墺戦争の後、イタリア王国領に編入されるとその軍事的な重要性は低下し、20世紀初頭までには都市城壁や堡塁は失われ、南側の堀も埋め立てられている。
踏査日 2019-04-30

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2019-06-18、更新---
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