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名称 保呂羽ほろは
所在地 登米市登米町寺池道場
アクセス方法 県道15号線から専称寺、登米八幡神社の西脇を通る山道に入り、浄水場の建物を過ぎた100m先くらいに標柱が立つ。
周辺の目標物 保呂羽の浄水場を目指す。
登城口 標柱浄水場の先の道路脇に標柱が立つ。
現状 県内最大の館跡とされるが、かなりの部分は浄水場関係施設で破壊されたようである。部分的に平坦面が残る。
現況写真 平坦面標柱の先に平坦面が残る。
図面等 説明標柱脇に説明が付されている。
歴史 鎌倉時代初期に奥州合戦で功労のあった葛西清重がこの地に所領を与えられて居館としたとされる。葛西氏は鎌倉・室町期を通じて所領を拡大し、葛西七郡の領主となるも天正18年(1590)に豊臣秀吉に所領を没収されている。葛西氏は室町時代には本拠を寺池城に移したとされるが、本館がその後どうなったかは不明である。
踏査日 2018/8/7

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2018/8/15、更新---
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