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名称 雉岡きじがおか
所在地 本庄市児玉町八幡山(雉岡城址公園)
アクセス方法 児玉中学、児玉高校の南側に公園はある。
周辺の目標物 縄張図雉岡城の縄張図。城跡の北側三分の二程度はし校地として潰されている。公園入口は南側にある。
登城口 土塁南の曲輪の土塁を南側より望む。
現状 城の約三分の二は壊滅しているが南側の曲輪、土塁、水堀が残る。県指定史跡である。
現況写真 堀ほうき郭の南側の残存の堀を南より望む。
図面等 説明板公園入口の説明板
歴史 関東管領上杉氏が平井に築城した際、家臣の有田氏をこの地に置いたとされ、山内上杉氏の鎌倉往還の拠点の一つと考えられる。徳川家康が天正18年(1590)に関東に入部すると、松平家清が1万石で城主となる。家清は慶長6年(1601)に三河吉田城に移封され、城は廃止された。(梅沢太久夫「中世北武蔵の城」(岩田書院、2003年)
踏査日 2017-11-04

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2017-11-22、更新---
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