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名称 クンヌイくんぬい
所在地 長万部町豊野(豊野3史跡)
アクセス方法 JR国縫駅方面から国道5号線(大沼国道)を南下し、クンヌイ川を渡って「国縫墓地」の標示で東に折れる。国縫墓地のある高台の東側下辺りがクンヌイ砦の跡のようである。
周辺の目標物 国縫墓地の標示に従い東に進む。国縫墓地の標示に従い東に進む。
登城口 国縫墓地の麓に小屋がある。この一帯も砦跡のようである。国縫墓地の麓に小屋がある。この一帯も砦跡のようである。
現状 国縫墓地とその東側の藪化した平面が砦跡のようである。墓地の西側も切られているような感があったが、藪化していて詳細は不明である。
現況写真 国縫墓地の平坦面国縫墓地の平坦面
図面等 旧国縫小学校の校庭の南西隅にシャクシャイン戦役の碑が立つ。旧国縫小学校の校庭の南西隅にシャクシャイン戦役の碑が立つ。
歴史 クンヌイは松前藩の対蝦夷交易あるいは砂金採取の拠点として江戸時代前期に整備され、クンヌイ川右岸に砦とも呼ばれる相応の施設があったようである。寛文9年(1669)の「寛文蝦夷蜂起」においてはシャクシャイン率いる2000人がクンヌイ川左岸に陣取って砦を襲撃したが、攻略できずに撤退している。クンヌイの砦がいつごろ撤廃されたかは不明であり、砦跡の発掘調査も行われていないようで、実際の規模・範囲は不明である。
踏査日 2017-06-10

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2017-07-05、更新---
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