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名称 高田たかだ
所在地 豊後高田市玉津(桂陽小学校)
アクセス方法 桂陽小学校一帯が本丸跡で、その周囲に遺構が残っている。
周辺の目標物 桂陽小学校を目指す。
登城口 昭和の町から桂橋を渡って北進すると城跡の石垣に至る。階段を上ると小学校である。昭和の町から桂橋を渡って北進すると城跡の石垣に至る。階段を上ると小学校である。
現状 石垣のほか、小学校(本丸)の東側と北側に水堀が残る。また、外郭部分の水堀も一部残るが、市街地となっているため把握は難しい。
現況写真 本丸東側の水堀を南側(小学校校門付近)より望む。本丸東側の水堀を南側(小学校校門付近)より望む。
図面等 城跡についての詳細な説明板はなかった。
歴史 鎌倉時代に高田氏がこの地に城を築いた。文禄2年(1593)に竹中重利が1万3千石でこの地の領主となり、現在残る近世城郭の遺構の多くは同氏によるものと考えられている。慶長5年(1600)の関ヶ原合戦に際しては竹中重利は西軍から東軍に寝返って本領を安堵されたが、翌慶長6年に豊後府内に移封され、新領主の細川氏の支城として存続するが、元和元年(1615)の一国一城令で破却される。細川氏の肥後転封に伴い、寛永16年(1639)に豊前竜王から松平氏が入封するが、同氏は正保2年(1645)に木付(杵築)に転封となって城は廃止される。なお、この地が島原藩松平氏の飛地となるとこの地に陣屋が築かれている。
踏査日 2017-01-08

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2017-01-20、更新---
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