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名称 保渡田ほどた
所在地 高崎市保渡田町1330(保渡田北部公会堂)
アクセス方法 保渡田北部公会堂の建つ辺りが本丸である。
周辺の目標物 公会堂保渡田北部公会堂を南より望む。
登城口 古墳公会堂の南側にある天子塚古墳。本丸南側の櫓台に転用されていた。
現状 住宅地の中に土塁の残欠が残っている。
現況写真 土塁公会堂の北の「北城」と呼ばれる部分の西北角部の土塁
図面等 説明板公会堂の脇に説明板があり図が添付されている。
歴史 永禄9年(1566)に武田氏は箕輪城を攻略し、内藤昌豊を城代とする。昌豊は保渡田に新城を築き、以降、内藤氏の城となる。天正17年(1589)に内藤外記が中川武蔵守に攻められて自刃し、城も廃止された。
踏査日 2016/12/23

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作成2017/1/5、更新---
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