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名称 金窪 かなくぼ
所在地 大里町金久保字内出(金窪城址公園)
アクセス方法 金窪南城から北東約400m、県道392号線から北上して約300mで城跡である。
周辺の目標物 指導標県道からの指導標に従い萌美保育園脇を北上して忍保川の橋の手前西側一帯が城跡である。
登城口 説明板土塁上の説明板に付近の道路図的なものも付いている。
現状 説明板や碑が立つ長めの土塁残闕がある。この他2、3カ所土塁が残るとされるが発見できなかった。県指定史跡である。
現況写真 土塁南東より土塁の残闕を望む。
図面等 説明板新旧2つの説明板があった。こちらでは古い方を掲載
歴史 南北朝期においては新田義貞の家臣長浜氏の城であった。天正10年(1582)に関東管領となった滝川一益がこの城を拠点とし、本能寺の変直後に攻めてきた北条氏の軍と戦って破れた神流川合戦関連の城として有名になった。江戸時代には旗本武田氏の城(陣屋)であり、同氏が元禄11年(1698)に転出して廃城となった。(梅沢太久夫「中世北武蔵の城」(岩田書院、2003年)
踏査日 2016/3/21

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作成2016/3/28、更新---
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