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名称 恒吉(日輪)つねよし(にちりん)
所在地 曽於市大隅町恒吉
アクセス方法 県道495号線沿いにある曽於市役所連絡所脇に案内板等があり、登城口となる。
周辺の目標物 連絡所から少し山に上がる道。その脇の立て札辺りから山に入ることになる。連絡所から少し山に上がる道。その脇の立て札辺りから山に入ることになる。
登城口 城山の西側の林道からも2箇所城山に上がる口がある。道はいずれも整備されている。城山の西側の林道からも2箇所城山に上がる口がある。道はいずれも整備されている。
現状 現況は山林で、曲輪、土塁、堀切、竪堀等が残る。近時、城内の案内が大幅に整備されたようである。市指定史跡
現況写真 城跡に残る土塁城跡に残る土塁
図面等 連絡所脇にある説明板
歴史 鎌倉時代初期に恒吉氏が築いた城とされる。後に肝付氏、島津氏と領主は代わり、文禄4年(1595)から島津氏家臣の伊集院氏(都城城主)が支配した。伊集院氏は。島津家内で強大でありすぎたので、豊臣秀吉の死去に伴い、島津義久は伊集院氏を滅ぼすべく慶長4年(1599)に軍事行動を起こした(庄内の乱)。城は同年6月に島津軍の攻撃を受けて落城している。
踏査日 2014-01-13

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2014-01-29、更新---
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