名称 |
天保山砲台(台場) |
所在地 |
鹿児島市天保山町(天保山公園内) |
アクセス方法 |
天保山公園内の北東部分に台場跡が残る。 |
周辺の目標物 |
天保山公園を目指す。 |
登城口 |
公園内に教育委員会の立てた標柱があり、その付近が砲台跡である。 |
現状 |
公園内に土塁の残欠、石垣の残欠が残る。砲台の構造がどのようなものだったかは不分明である。 |
現況写真 |
砲台跡の土塁の残欠 |
図面等 |
案内板に砲台の由来が記載されていた。 |
歴史 |
薩摩藩は、天保8年(1837)のモリソン号事件で、同号が鹿児島湾にも来航したことから以降、鹿児島湾防衛を強化した。その一環として、嘉永3年(1850)に本砲台は築造された。文久3年(1863)の薩英戦争において、最初の口火を切ったのはこの砲台とされ、当時の備砲は青銅製50ポンド陸用カノン砲だったとされている。 |
踏査日 |
2014-01-10 |