名称 |
櫛間城 |
所在地 |
串間市大字北方字上ノ城 |
アクセス方法 |
上ノ城工業団地の造成で城跡の南3分の2程度が破壊されたが、工業団地北側、西林院一帯に遺構が残っている。 |
周辺の目標物 |
工業団地の西側の道から西林院に入る。 |
登城口 |
西林院から東に下ると城の北側の曲輪間の堀切がある。 |
現状 |
工業団地造成で相当部分が壊滅したが、北側の堀切、曲輪跡は残っている。その多くは藪化している。 |
現況写真 |
西林院も城の外郭部分で、西側に低い土塁が残る。 |
図面等 |
城跡として標示はなかった。工業団地側から残った曲輪に上がることも可能ではある。 |
歴史 |
南北朝時代に野辺氏が築いた城である。室町時代後期からは島津氏の城となり、伊東氏との戦いの最前線となった。天正15年(1587)の豊臣氏による九州平定後は秋月氏の城となったが、慶長9年(1604)に秋月氏は本拠を高鍋に移したため城は廃された。西林院には秋月氏の墓所が残っている。 |
踏査日 |
2014-01-13 |