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名称 芥川山あくたがわさん
所在地 高槻市原(三好山山頂部分)
アクセス方法 公共交通機関を使う場合は、市バス塚脇バス停に詳細図面があるのでこれを参考に登る。バス停から山頂まで所要50分程度である。(比高70m)
周辺の目標物 道案内塚脇バス停に詳細な道案内と縄張図がある。
登城口 登城口山に向かって進むと農地を迂回する形で登城口がある。標示程時間はかからず、本丸まで所要30分弱であった。
現状 曲輪、堀切、土塁などが残る。史跡として整備されており、道の状況は良い。
現況写真 本丸本丸部分の平坦面を南より。
図面等 縄張図塚脇バス停に詳細な縄張図がある。
歴史 戦国初期の城主は能勢氏であったが、同氏の没落後、管領細川晴元がこの城に入って整備したが、細川晴元と家臣三好長慶との間に不和が生じ、最終的には、天文16年(1546年)に三好長慶がこの城を確保して、以降、三好氏の城となる。芥川山城は河内の飯盛山城とともに三好氏の重要拠点であり、三好長慶、義興父子がしばしば本拠としている。永禄7年(1564年)7月、息子の後を追うように三好長慶が没すると、城は三好三人衆方が確保する。永禄11年(1568年)に織田信長が入京すると、城は摂津3守護の一人和田惟政に与えられる。しかし、和田氏は高山氏に取って代わられ、天正元年(1573)頃には廃止されたものと考えられている。
踏査日 2011/10/10

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作成2011/10/21、更新---
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