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名称 富田松山とだまつやま
所在地 備前市東片上
アクセス方法 品川白煉瓦グランドの向かいに城の説明板がある。登城口はその少し北にある「楽雁窯」の脇である。
周辺の目標物 楽雁窯の標示の脇に登城口がある。楽雁窯の標示の脇に登城口がある。
登城口 登城口を進むと数十メートルで墓地に至る。ここから北に向かう鉄塔道(右に向いた矢印)の方が登りやすい。南を回す沢道(直進させる矢印)は歩きにくい(山頂部ではこの沢道を「下山道」としている)。登城口を進むと数十メートルで墓地に至る。ここから北に向かう鉄塔道(右に向いた矢印)の方が登りやすい。南を回す沢道(直進させる矢印)は歩きにくい(山頂部ではこの沢道を「下山道」としている)。
現状 曲輪、土塁、堀切などの遺構が、本丸以下からなる富田松山山頂部分と三角点のある東出丸部分に残る。県指定史跡
現況写真 本丸平坦面と土塁本丸平坦面と土塁
図面等 麓の説明板に図面がある。麓の説明板に図面がある。
歴史 文明年間(1470年代頃)備前守護代の浦上家(本城は三石)が、片上湾の押さえとして築城し、浦上一族の国秀が本格的な築城をしたとされている。天正5年(1577)に宇喜多氏が浦上氏を圧迫し、本城の天神山城を攻略するに及んでこの城も落城・廃止された。
踏査日 2011/01/07

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2011/01/13、更新---
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