ホーム 城塞史跡協会について 調査報告 活動報告
名称 大松山おおまつやま
所在地 高梁市内山下(臥牛山)
アクセス方法 国指定史跡の備中松山城(小松山)方向から登るほか、北側の林道から吊り橋を渡って大松山城に行くこともできる。
周辺の目標物 松山城側から登る場合は、ふいご峠で車を降りて進むことになる。徒歩40分程度かかる。松山城側から登る場合は、ふいご峠で車を降りて進むことになる。徒歩40分程度かかる。
登城口 大池の近くに大松山城に上がる標示がある。これに従うと井戸のところに上がる。大池の近くに大松山城に上がる標示がある。これに従うと井戸のところに上がる。
現状 大松山城、小松山城を含め全体として国指定史跡になっている。石垣、土塁、曲輪跡等が随所に残る。
現況写真 城の中央の曲輪の平坦面を東より望む。城の中央の曲輪の平坦面を東より望む。
図面等 大松山城だけの図面はない。標柱は現地に立つ。大松山城だけの図面はない。標柱は現地に立つ。
歴史 鎌倉時代にこの地に入った秋庭氏の築城とされる。以降、上野氏、庄氏などが入り、戦国時代末期には三村氏の本城となっていた。天正3年(1575)に毛利氏が入城して以降、毛利氏の支城となる。慶長5年(1600)年の関ヶ原合戦後は徳川家がこの城を没収して配下の大名に任せるが、小松山を中心とした本格改修は天和3年(1683)に入城した水谷氏によるものとされる。水谷氏が小松山を中心とした縄張りに改めたことに従い、おそらく大松山地区は城域からは外されたのではないか。(村田修三編『図説 中世城郭事典 3』(新人物往来社)
踏査日 2011/01/09

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2011/01/17、更新---
email:castles
=