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名称 鬼身きのみ
所在地 総社市山田(鬼身山)
アクセス方法 南側から城を目指す場合、県道54号線沿いに鬼身城跡の標示があり、所々に指導標がある。ただし、華光寺への分岐以北は極端に道が細くなるので、軽自動車でないと運転は難しいかもしれない。登城口付近にスペースはあるので駐車は可能である。
周辺の目標物 華光寺との分岐。この道路状態で進める車のみ通行可。華光寺との分岐。この道路状態で進める車のみ通行可。
登城口 城山に登る分岐に杖の入ったドラム缶が置かれている。ここから700mで(徒歩20分程度)、登山道は整備されている。城山に登る分岐に杖の入ったドラム缶が置かれている。ここから700mで(徒歩20分程度)、登山道は整備されている。
現状 曲輪、土塁、井戸跡等が明瞭に残る。下草も刈られていて見学しやすい。総社市指定史跡
現況写真 一ノ壇(本丸に相当)の平坦面一ノ壇(本丸に相当)の平坦面
図面等 一ノ壇に説明板が立ち図面も添付されている。一ノ壇に説明板が立ち図面も添付されている。
歴史 室町時代中期には存在したようで、戦国時代初期には上田氏の城となる。天正年間初期(1573年頃)には上田氏は備中松山城の三村氏から養子を迎えてその傘下に入った。天正3年(1575)正月に毛利氏が三村氏を攻めて鬼身城を攻略し、以降、毛利元就の女婿宍戸隆家がこの城を守った。廃城時期は慶長5年(1600)頃とみられている。
踏査日 2011/01/09

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2011/01/17、更新---
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