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名称 相良さがら
所在地 牧之原市相良
アクセス方法 牧之原市相良の相良庁舎、隣接の史料館、相良中学辺りが本丸跡である。城跡はほぼ宅地化している。
周辺の目標物 国道150号線から相良史料館を目指す。
登城口 史料館前に城址碑が立つ。史料館前に城址碑が立つ。
現状 遺構はほぼ消滅している。城跡そのものではないが、仙台河岸と呼ばれる船着き場跡の石垣が少し残っている。
現況写真 仙台河岸の石垣仙台河岸の石垣
図面等 仙台河岸の説明板。城跡としての説明は史料館にある(午前9時から午後4時まで開館。月曜休館)仙台河岸の説明板。城跡としての説明は史料館にある(午前9時から午後4時まで開館。月曜休館)
歴史 相良の地には鎌倉時代には御家人の相良氏が館を構えていた(相良氏は後に肥後人吉に移住)。戦国時代には武田氏の手で相良古城が築かれ、江戸時代に入るとこの地に徳川家康が鷹狩りのための「相良御殿」を築く。宝永7年(1710)以降、相良の地には譜代の小藩が置かれ、相良御殿の跡地を中心に陣屋を構えた。宝暦8年(1758)にこの地に入った田沼意次は、明和4年(1767)に将軍徳川家治の側用人となり、城主格となった。これを受けて意次は、明和5年から築城工事を開始し、安永9年(1780)に城が完成した。その間、田沼意次は老中となり、石高も5万7千石の中堅大名になっている。意次は、天明6年(1786)に老中を免ぜられ、翌天明7年に城は没収されて奥羽に転封される。これを受けて相良城は徹底的に破壊されてしまう。文政6年(1823)に田沼氏は1万石の大名としてこの地に復帰するが、城が復興されることはなかった。
踏査日 2009/11/15

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2009/11/24、更新---
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