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名称 北条きたじょう
所在地 柏崎市北条
アクセス方法 北条にある専称寺または普広寺の脇にある登山道を上る。十日市方向からの「本条林道」を上って山の中腹から取り付くことも可能である。
周辺の目標物 登り口専称寺脇の登り口。ここから15分程度で二の丸に至る。
登城口 登山口普広寺脇からの登山口。こちらは直に本丸に上がる経路である。
現状 曲輪、土塁、堀切などが残っている。草も刈られていて整備状況は極めて良い。
現況写真 本丸本丸北端に碑が立つ。ブルーシートは中越地震の被害復旧のためらしい。
図面等 案内板専称寺からの登山道と本条林道との交差点近くに案内板がある。
歴史 鎌倉時代に当時、佐橋庄と呼ばれたこの地に入った毛利氏の城である。毛利氏は代々勢力を拡大し、本拠地に因んで「北条氏」を名乗るようになる(安芸毛利氏は分家に当たる)。戦国時代の当主北条高広は、一時、武田晴信に内応するも、帰服してからは上杉謙信股肱の勇将として関東出兵で活躍し、厩橋(前橋)城代として対小田原北条氏戦の前線指揮官となる。天正6年(1578)の御館の乱では北条高広は息子景広とともに上杉景虎に味方するも景広は戦死、高広は没落してしまい、城は上杉景勝に接収された。後に桐沢具繁が城主となるが、慶長3年(1598)の上杉氏の会津移封により城は廃止された。
踏査日 2008/09/13

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作成2008/09/16、更新---
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