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名称 津川つがわ
所在地 阿賀町津川(麒麟山公園)
アクセス方法 国道459号線沿いにある津川の麒麟山公園を目指す。
周辺の目標物 城門様の入口城山トンネル南口手前の駐車場売店脇に城門様の入口がある。
登城口 碑「城門」から徒歩15分程度で本丸に至る。碑が立っている。
現状 本丸とその下の出丸の整備状態は良い。本丸下の石垣はよく残っている。県指定史跡
現況写真 石垣本丸下にある石垣。ネットで防護されているので写真は撮りづらい。
図面等 案内板二の丸に案内板が立つ。
歴史 津川が属する小川庄は越後国ではあるが、古来より会津の入口として会津の領主が支配してきた。津川城は、阿賀野川と常浪川の合流点として水運の要地であり、会津芦名氏の金上氏が守ってきた。津川城がクローズアップされるのは、慶長5年の関ヶ原合戦の時で、当時会津の領主であった上杉景勝に「異心あり」と告げたのが当城主の藤田信吉であった。信吉は配下を率いて徳川領に離脱し、これが徳川氏による上杉討伐のきっかけとなる。関ヶ原合戦後、城は会津領のままで、蒲生氏に用いられたが、寛永4年(1627)に当時の領主の加藤氏が幕命により廃城とした。(大家健「図説中世の越後」(野島出版、1998年)
踏査日 2008/05/03

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2008/05/07、更新---
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