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名称 与板よいた
所在地 長岡市与板町与板(城山)
アクセス方法 与板町の中心部の南ある城山を目指す。県道69号線沿いにある八坂神社からの登山道が最も整備されている。
周辺の目標物 八坂神社参道八坂神社の参道脇に「与板城址登口」の標示がある。
登城口 稲荷神社への参道八坂神社の石段を上がり、右手に入ると本丸に鎮座する稲荷神社への参道が続く。八坂神社より所要10分強で本丸に至る。
現状 本丸部分は稲荷神社を中心によく整備され、社殿の西側に土塁が残る。南に続く二の丸、三の丸の平坦面へも道が続くが植林されて見通しは悪い。県指定史跡
現況写真 本丸本丸平坦面を南より臨む。
図面等 概念図本丸の神社の社殿裏に城跡の概念図があった。
歴史 直江氏の城である。直江氏は、本与板城の飯沼氏が没落した後、上越からこの地に移り与板城を築いた。上杉謙信の側近であった直江景綱には男子がなかったため、娘お船に養子をとる。これが天正9年(1581)に横死すると、上杉景勝は腹心の樋口与六をお船に再嫁させて直江家を継がせ、直江兼続と名乗るに至る。直江兼続は上杉家執政として重きをなすが、慶長3年(1598)に上杉氏が会津に転封になると、直江氏もこれに従い、城は廃止された。(大家健「図説中世の越後」(野島出版、1998年)
踏査日 2007/09/24

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作成2007/09/25、更新---
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