歴史 |
天文21年(1552)に北条氏康に追われて越後に逃れた関東管領上杉憲政を迎えるために長尾景虎(後の上杉謙信)が築いた館である。天正6年(1578)に上杉謙信が死ぬと養子の景勝と景虎(北条氏康7男)が家督相続を巡って対立し、上杉景虎は春日山城を追われて御館に逃げ込んで上杉景勝と対立する。これが有名な「御館の乱」である。上杉景虎は春日山周辺の中小豪族を味方に付けて春日山城を包囲する態勢を取るも、上杉景勝方の巻き返しにあって勢力比は逆転し、上杉景勝軍の攻撃を受けて御館はあっさりと陥落し、敗走した上杉景虎は逃げ込んだ先の鮫ケ尾城で裏切りに遭い自刃、上杉憲政は上杉景勝に和議仲裁を申入れに行く途中に景勝方に殺された。この後、御館は廃止された。 |