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名称 修善寺しゅぜんじ
所在地 伊豆市本立野
アクセス方法 修善寺東小学校のプールの北にある道を入って城山神社を目指す。神社から徒歩15分程度で山頂に着く。山頂にはアンテナが多数林立しており、遠くからでも見つけやすい山である。比高200m弱。
周辺の目標物 城山神社への一本道。車で入るのは難しい。城山神社への一本道。車で入るのは難しい。
登城口 神社の鳥居の左手から山に入ると直ぐに「畠山国清古戦場登口」の標示がある。この道を登っても良いが、右側の広い道をそのまま進んでも山頂に到る(所要時間は余り変わらない)。広い道の方が、整備状況は良い。神社の鳥居の左手から山に入ると直ぐに「畠山国清古戦場登口」の標示がある。この道を登っても良いが、右側の広い道をそのまま進んでも山頂に到る(所要時間は余り変わらない)。広い道の方が、整備状況は良い。
現状 本曲輪、南曲輪の平坦面が残るほか、附属の小曲輪も見ることができる。本曲輪には囲い込まれた電波塔が何本も建っているため行動は制約される。南曲輪はかつてロープウェイの駅があったところで、建設の際、遺構の改変があったものと思われる。
現況写真 南曲輪南端の土塁を北より望む。南曲輪南端の土塁を北より望む。
図面等 ロープウェイの待合室(?)の廃屋内に説明板があった。ロープウェイの待合室(?)の廃屋内に説明板があった。
歴史 室町時代初期に伊豆守護を務めていた畠山氏の城である。畠山国清は関東公方足利基氏と不和を生じてここで挙兵するが、貞治元年(1362)に国清は降伏し、開城する。その後、城は狩野氏の出城となったようであるが、伊勢新九郎が狩野氏を滅ぼすに伴い廃城となったと見られている。(「静岡県 古城めぐり」(静岡新聞社、1984年)
踏査日 2007-02-11

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2007-02-13、更新---
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