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名称 信田丸(信田ノ丸)したのまる
所在地 宇部市奥万倉字城南
アクセス方法 県道30号線から今富のダム湖の西岸を通る道を北上すると城跡の案内板がある。これに従い山道に入ると民家があって道がとぎれるが、ここに城跡まで1kmの標示がある。ここから徒歩20分で城跡に至る。
周辺の目標物 県道沿いに登山口の標示がある。道路沿いに登山口の標示がある。
登城口 民家の脇に入口標示がある。600m地点、300m地点にも同型の標示がある。民家の脇に入口標示がある。600m地点、300m地点にも同型の標示がある。
現状 登山道は西の丸を経て本丸、二の丸まで続いている。平坦面、土塁、堀切の残存状況は良好である。二の丸以東は藪化していて探索は難しい。
現況写真 二の丸平坦面に碑と説明板が建つ。二の丸平坦面に碑と説明板が建つ。
図面等 登山口のものより二の丸にある図面の方が明瞭である。登山口のものより二の丸にある図面の方が明瞭である。
歴史 大内氏3家老の一家杉伯耆守家の居城とされる。杉伯耆守重矩は陶晴賢とともに天文20年(1551)に大内義隆を討ったが、翌天文21年には杉重矩は陶晴賢と手切れになり、杉重矩は敗死した。なお、現地案内板は元亀年間の築城説を採っており、そうであれば毛利氏系の支城ということになろう。
踏査日 2007/01/07

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作成2007/01/12、更新---
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