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名称 勝坂かっさか砲台
所在地 防府市下右田字勝坂
アクセス方法 国道262号線で防府市街から山口市方向に進むとレストランなすびの少し先、山口方面行き勝坂バス停の向かい(東側)に石垣がありその裾のコンクリート部分にプレートが取り付けられている。ここが砲台跡である。
周辺の目標物 山口方面行きの勝坂バス停山口方面行きの勝坂バス停
登城口 砲台跡は勝坂バス停と道路を挟んだ向かいである。
現状 砲台は二基あったが、西側砲台は壊滅し、東側砲台の石垣のみ残る。石垣上の平坦面は民家が建ち一部は藪化しているので探索は難しい。
現況写真 山口方面行き勝坂バス停から砲台石垣を望む。山口方面行き勝坂バス停から砲台石垣を望む。
図面等 コンクリートに嵌められた案内板コンクリートに嵌められた案内板
歴史 文久3年(1863)、毛利氏が萩城から山口城に居城を移すに伴い、三田尻港(現防府市)から山口・萩方向への街道である「萩往還」の中途を扼するべく建設された。明治期以降、いつまで砲台が供用されていたかは不明であるが、明治3年(1870)の長州藩での脱退騒動においては砲台周辺が激戦地となっている。
踏査日 2007/01/09

特定非営利活動法人城塞史跡協会
作成2007/01/12、更新---
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